私は生むことができなかった子供の代わりに
神様が猫をくださったんだ、特別な贈り物だ、と思っていた。
「たまる」の火葬後、家の中にどこにも「たまる」がいない現実を見て、
私のペットロスは始まった。
死を受け入れられなかった。
「虹の橋」の話は心に響かなかった。
神様なんてやはりいないと失望した。
悲しみ以上に、怒りや後悔が大きくなっていった。
なぜ子供と思って大切に育ててきた「たまる」を奪われないといけないのか
なぜ厳しい環境の中で生きているノラ猫ではなく、「たまる」なのか
なぜ獣医師は1カ月前の健診で病気に気付いてくれなかったのか
健診をした病院は都内でも分院がいくつもある有名な病院だ。
担当は院長で、健診時のカルテに「心音に雑音あり」と書かれているから説明したと言う。
もちろんそんな説明はなかった。
この獣医師に怒りを覚えた。
さらにこの病院を選択した自分の行動も後悔した。
先天性の心筋症の可能性があったことで、後悔は増す一方だった。
夜暴れて鳴き続ける「たまる」を落ち着かせるために霧吹きで水をかけたが、
あれは心臓が苦しかったからだったのではないか。
趣味のダンスの練習で夜遅く帰宅することが多かったが、
きっと不安だっただろう。
夫婦喧嘩をし、猫の様子をあまり見る余裕がなかった。
ちゃんと見ていればもっと早く気付いていたのに。
私はなんて酷いことをしてしまったのだ。自分の過ちを責め、他人を責め、それでもどうにもならない「死」
それを乗り越えられないあまりにも弱い自分。
もうこれ以上の悲しみは耐えられない。
自分は生きる価値が無い。
「たまる」の死後1カ月で私の精神状態はここまで酷くなった。
簡単にペットロスという言葉を使いたくないのだが、
おそらく、これはペットロスだったのだと思う。
ここから抜け出す方法は1つしかなかった。
自分で分かっていた。
新しい猫を迎え入れること。
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